感想のページ 作者「ニック・ホーンビィ」

アバウト・ア・ボーイ
about a boy

ニック・ホーンビィ NICK HORNBY
翻訳:森田義信
新潮文庫
(2008.8/26読了)

「もう、あなたって、自分のことしか考えない最低な男ね」
「でも、ひとりで生きてるぜ。ぼくの世界にはぼくしかいないんだ。他人をあえて無視してるわけじゃない。ほかには誰もいないんだよ」
「でもあの子はあなたの世界の中にいるのよ。人をむりやり締めだすことなんて、できなくない?」

『アバウト・ア・ボーイ』本文より

ニック・ホーンビィはどんだけこちらの読みたいものを書いてくるんだw

音楽バカたちの実にダメな生きっぷりを描いたハイ・フィデリティのニック・ホーンビィの『アバウト・ア・ボーイ』。

父親の遺産でのうのうと生きている独身男36歳。
これまでも何人もの女性と付き合い、後腐れなく別れを繰り返した彼が大きな愛情を得るために選んだのは「シングルペアレンツ」の会で子持ちのシングル女性を狙うことだった。

30代男性の描き方は相変わらず。
もう実にダメ男。
カッコイイ上に、口説き方も上手。
けどダメ(笑
考え方からして「人生おもしろくないけど、別にひとりで生きてるし」という実に乾いたもの。

ああっ。
でもなんか親近感沸くのはなぜ(笑

もう一人の主人公のスレた男の子もまた変わった奴。
ママが独身で自殺未遂の常習者。
自分がしっかりしないといけないんだけど、おかげで子供であることを忘れ去られてるようなやつ。

しっかりしてるんだけど、どこか可愛げない。
周りは子供っぽくていやだ、というのもまた子供っぽくない。
けど、それも分からなくもない。

そんなダメ男と大人な子供の心の交流を描いていくんだけど、これがまた面白く描かれる。
自虐的でどこかしらダメなんだけど、こいつらは非常にイイ奴ら。
ダメでもダメなりに、しっかり生きてる。
それはダメなんかじゃない。
しっかりとした個性じゃないか。
どんだけ世界が嫌いでもつまんなくても、それでも生きていけるこの小説の登場人物たちってホント愛されるキャラクターに思えてくるんだよなぁ。

すごくいいものを読めました。
今年読んだ中でももっともいい小説かもしれない。

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いい人になる方法
HOW TO BE GOOD

ニック・ホーンビィ NICK HORNBY
翻訳:森田義信
新潮文庫
(2008.10/16読了)

「あなたはどれくらいの情熱をもってわたしたちの結婚を信じてるの?」

『いい人になる方法』本文より

ニック・ホーンビィの『いい人になる方法』。
シニカルです。
全編苦笑しっぱなしです。

ポップでかわいらしい表紙に惹かれて買った人は残念でした。
読んでみたら表紙の印象とだいぶ違っていたと思う(笑
でもきっと何か得るものはあったんじゃないかと思います(笑

医者のケイティは夫のデイヴィッドにちょっとした口論から離婚を持ちかけた。
20年以上も連れ添ってそんなつまんないことで離婚話かよというほどの内容。
しかしその日からダメ男だったデイヴィッドはとてつもなく「いい人」化していく。
ホームレスの子供に財布の中身をごっそり恵んだり、罪もないホームレスの子供たちをみんな救おうと部屋を提供してあげるよう呼びかけたり。
そんな正論かかげてとんでもない「いいこと」を行使する夫に反論もできず悶々としたケイティの日々がはじまる。

ニック・ホーンビィはとりあえず一つずつ読んでいこう。
つまりは「ハイ・フィデリティ」や「アバウト・ア・ボーイ」のあまりの主人公のダメさとテンポが気に入ったので読んでみた。
やっぱりイイ!

今回の主人公は医者の女性。
基本いいひと。
ダメな人じゃない。
ってかダメなというより、みんな結局はどこかしらダメなとこ持ってて当然でしょという書き方はやっぱり好感をもてる。

いいひとになるが空転するデイヴィッドと彼の相談役のヒーラーのグッドニュースのあきれ返るほどの善意が面白い。
客観的にそのやりとりを見てる妻のケイティがもっとも楽しいのだが。

「いいこと」とはなんなのか。
結局自分達ができる「いいこと」を読者にも問いかけながら、現代社会に漠然と思っていることを代弁してくれている小説だと思う。
決して面白かったとか楽しかった感動したで終わらないあたりが、やはりこの作家独特の書き方だよなぁ。

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ソングブック
SONG BOOK

ニック・ホーンビィ NICK HORNBY
翻訳:森田義信
新潮文庫
(2009.2/26読了)

「誰を聞いたって、そんなことはどうでもいいし、そいつがどれだけすばらしいかも、どうだっていい。ただ、本気でやっているやつを聞け。言いたいことがなんであれ、どうしてもつたえたいんだという欲望で燃えあがっているようなやつを聞け。」

『ソングブック』本文より

ニック・ホーンビィのエッセイ『ソングブック』。
『ハイ・フィデリティ』などの著作の中で濃い濃い歌の知識をどんどん披露してきた作者による、自らが好む、もしくは思い出の曲についてつらつらと書いた作品。

もはや音楽マニアにしかついていけないだろう。
そして彼と同じ価値観を持つ人はいないからすべてに賛同できるなんて人はまぁまずいないだろう。

言葉や思い出で音楽を語ってもその曲のよさは伝わってこない。
それでもこの作者が歌を好きなことは伝わってくる。
それも「好きな」どころじゃない。
ニック・ホーンビィは今までも今からもずっと音楽と付き合っていくんだろうということを感じる。

こういう風に好きなものを語る。
それってなんて素晴らしく、楽しいことだろうって読んでいて思った。

あまり洋楽には詳しくないんで全然知らないアーティストばっかりだったんだけど読んでいて楽しかった(笑

ニック・ホーンビィの著作の中でこの人のルーツを知りたくなった人や、音楽オタを名乗れるような人や、音楽好きで作者と同年代の人は楽しく読めると思う。

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ハイ・フィデリティ
High Fidelity

ニック・ホーンビィ NICK HORNBY
翻訳:森田義信
新潮文庫
(2007.10/18読了)

「傷ついた?でもあいつは、見せかけだけの男だったのよ。なぐさめにはならないかもしれないけど」
なぐさめになどなっていないし、それに、ほしいのはなぐさめではない。ほしいのは答えだ。そして答えはもう出されていた。

ニック・ホーンビィ『ハイ・フィデリティ』本文より

素晴らしいまでの自虐小説。
ジョン・キューザックによって映画化もされている。

自分は恋愛に向いていないのか。
じゃあその原因を探るべく過去につきあった女性とどうしてダメになったのかを回想していく話。
果たして自分のどこがダメだったのか。
中古レコード店に勤務する、自分なりの音楽に対する美学をもっている30歳独身のロブは何を見つけ出すのか(笑

ある意味グサグサくる。
読んだ誰もが主人公のロブのどこかには共感してしまうだろうと思える(笑

というのもなんていうか女々しいのである。
女々しいのはある種男性ならではの特権のような気もするけど。
まぁ言わなくてもいいことをわざわざこの主人公は言ってくれる。
自虐メーターがMAXにでもならない限り、おそらく口にするような人物はいないであろうくらいにネガティブな発言と独り言ばっかり。
それでいて、彼が探している自分自身の「原因」はおそらく自分で分かっているであろうこと。
わざわざそれを確かめようとするのだから実にタチが悪い(笑

なので、グサッと来る一言を探して戒めるという意味では世の男性は一度目を通してみて精神的ダメージを受けてみるのもいいかもしれない。

結局読んでから2週間くらいたった現在、こうやって感想を書いているわけだけれども、読了後はあまりに衝撃を受けたものである。
「これはマズイ」と思って考えを改めたところも多々あったし(笑

いつかはこの映画は見なきゃいけないなとも思った。

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ぼくのプレミア・ライフ
FEVER PITCH

ニック・ホーンビィ NICK HORNBY
翻訳:森田義信
新潮文庫
(2009.4/8読了)

どこでこうなってしまったのかは、わからなかった。踏みあやまったと言っても、もともとどんな道を歩いていたのかさえ定かではない。ガールフレンドも含め、友達は大勢いたし、仕事もあったし、家族とは頻繁に会っている。近親者を失ったわけでも、住むところを失ったわけでもない……どの分野でも道を踏み外した形跡などなかった。なのに、どうして脱線してしまったような気分なのだろう。

『ぼくのプレミア・ライフ』本文より

これでニック・ホーンビィの著作で日本語訳されたものはすべて読了。
あまりにこの人の本が好きだったので"A LONG WAY DOWN"も原書で読んでしまった。

なのによりにもよってなんで…
なんで最後の翻訳されて読んだ本がこれだったのだ。
あまりにも感情移入しすぎたというか。
苛立たしいというか妙な仲間意識を持ってしまったというか。
とにもかくにもあまりに自分にあった本に出会ってしまって驚愕しているというのが読み終わった感想だ。

弱小フットボールチーム「アーセナル」。
アーセナルのファンになり四半世紀を振り返るニック・ホーンビィの個人史であり、ファンから見たアーセナル史でもあるエッセイ。
しかもニック・ホーンビィのデビュー作である。

毎週日曜日にはホームグラウンドへ赴き、どんなスケジュールがあろうともすべてはアーセナルに都合を合わせるため他のすべては二の次。
たとえどんだけ負けようが応援し続ける、というよりはアーセナルを恨み何度もファンをやめようと思い、どんだけ残念な気分や屈辱を味わおうがなぜか土曜日にはアーセナルを見に行ってしまう。
そんな呪われたようなファンの25年が描かれている。
日本の文庫版で400ページ、ページに空白なんてほとんどないくらい濃密に描かれている。

もう勘弁してくれというか、本人も呪われているとすら思えるほどに「なぜなんだアーセナル」と思い続け、これほどまでに自分の生活に密着し続けていることにどこか自分はおかしいのではないかと自問自答し続ける姿が心に響いた。

ファンならいいじゃない。
楽しんでればいいじゃない。

人はそう言うかもしれない。

でもさ…
こう長いこと一つのことに生産性もなく、なにも生み出さずただただ消費する生活ってそりゃもうどこかおかしくなり続けることではなると思う。

普通の幸せ、普通の人生のステップ・アップ、変わっていく友人たちの生活。
それらと無縁であり、自分だけ全然違う方向へ進んでいく。

本人としても気づいているけど、常に「このままでいいのか」とと状況が自分に問いかけてくる。

その描写がなんとも生々しく本の中から叫んでくる。
もう「うわぁ」ですよ。
似たような境遇を持つ人としては。

ニック・ホーンビィにとってはアーセナルで起こった出来事が自分の周りで何が起こっていたかとリンクしている。
これと同じことがいまこれを書いている筆者にもある。
何の本を読んでいる時に何があったか、何を見ているときにどんな事件が起こったか。
よく覚えている。

もうね…
25年生きててその半分くらいを色んな種のオタを経験しながら生きてきた。
中学生くらいの時には「さすがに今だけだろ、大学生にもなったらさわやかに生きるんだ」とか思ってました。
高校生の時には「社会人になったら恋人とかいるんだろうなぁ、もしかしたら幸せな家庭とか持ってるかも」そんなことを思ったいたこともありました。

ねーよ。
さっぱり抜けれてねーよ。

それどころかどんどん深みにはまっていっているような気しかしない(笑
小学生の時にミステリ・SF・ゲーム・映画にどんハマり。
中学生にはアニメ・声優というところに死ぬほど落っこち、
高校生になるとネットの世界にドつぼにはまり、のちにエロゲも嗜み、
大学で映画・ミステリ熱が再燃しまくり、海外ドラマが楽しすぎることに気がつき突入。
大学の後半で一時期いわゆる「オタ」的なところから脱却しかけるも、腐男子的な視点を手に入れ幅が一気に広がる。
後にひとりで旅行にどんどん出かけるようになり、趣味の一つに舞台端訪というものが加わりインドア/アウトドアを両立させる奇特な人になる。
また見るものが好きなのが高じて舞台にまで手を出し始める。

ひたすらにメディアを消費することに費やした十数年。
もう人生の後半こんなのだよ…
薀蓄とか語れまくりですよ。
ヌルオタとかもはや敵ですらないくらいにレベル高いっすよ…
しかもどれも抜けられずという状態。

それゆえにこの本に妙に親近感が沸いてしまった。
フットボールを題材にしてはいるけれども、それくらいに知らなくても全く問題なし。

……しかし果たして本当にフットボールに興味がないのかと問われるとそれはどうだろう(笑
いちおう初期Jリーグ世代だし、サッカー歴も10年くらいあったりするし、キャプテン翼も見ていた。
それに今でも時々観戦してるしなぁ。
まぁとにもかくにも趣味に呪われた人にはぜひぜひオススメの本です。

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